2002年7月14日に、私たちKEYと、ピースボートのAsian History Project Teamの方々とで集まって、「在日を通じて見えてくること」というテーマで座談会を行ないました。このページでは、その時の内容を要約したものを掲載しています。
| 1.自己紹介 |

松本 |
私は広島で生まれ、兵庫県神戸で育ち、その後東京で過ごしてきました。大学に入り、とあるきっかけから<日本―在日―韓国>ユースフォーラムを知ることになり、そこではじめて僕は在日コリアンの人たちに会って自分の意識のなかではじめて理解しました。高校時代は、高校サッカー都大会のことで部活の仲間と「今年は朝鮮学校勝ちあがってるね」という話が出る程度で、その他にはあまり意識することがありませんでした。それが、在日コリアンと出会い、話をしてきたなかで、もしかしたらいままでにも身近にいたのかもしれないな、といろいろ考えることがありました。また、お互いを在日コリアンと日本人という形では意識してこなかった部分があって、そういうことをこの場で再認識し、考えていきたいと思っています。
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前原 |
私は出身が広島で、大学で東京に出てきました。私も在日コリアンが実は身近にいるかもしれないことを意識せずにきました。大学に入ってとにかくやりたいことに手をだしてみようと思って、それで、1年の夏にピースボートの世界一周クルーズに乗りました。そのあと南北コリアクルーズ(註:2001年)に行って、知ることにも責任があるということに気付いて、南北コリアクルーズの後にAHPTというものに入って約一年間知ったことを伝える活動を続けています。私は本とか読むよりも足でかせぐ派なので、この場にきて生の声を聞きたいと思っています。
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金 |
私は高校まで通称名で、韓国籍だということと、うちはよそと何か違うことをするな、くらいの認識しかありませんでした。母親が一世で韓国に親戚がいることで自分が在日コリアンだとわかりやすかった部分はあります。でもなぜ日本にいるのかも、本当は自分と同じ境遇の人が日本にたくさんいることもわかっていませんでした。大学に入って在日コリアンのサークルに入ったのがきっかけで関心を持つようになり、例えば本名を使いはじめたこととか、人と接していくなかで「在日」ということを普通に言ったりするようになりました。でも、最近あまり考えるという作業をしなくなった気がしていて、話をしてみたいと思っていました。
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白 |
いま千葉市の小学校で非常勤講師をしています。大分県生まれで山口県育ちで浪人を経て、千葉の大学へ行きました。自分が「在日コリアン」だということは、高校までは否定的で、あまりよく思ってなかったのですが、大学にはいって、在日コリアンの団体に誘われることがあって、そこに顔をだしていろんな人に出会ううちにいろいろ考えるようになって、多くのことを勉強しました。今日は、自分が聞かれて話すことでまた新しいことに気付けたらと思います。
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姜 |
私は神奈川県川崎市の出身で、この辺りは比較的「在日コリアン」が多い場所だと思います。加えて私の父が一世で、私は子どもの頃から本名で通名をもってなかったので、自分が「在日コリアン」というのは自我があったときからわかっていました。でも最初からわかった分だけ意識することが薄かったように思えて、私も韓青連とかにきて他の在日コリアンの人や、例えばこのAHPTの人と接する今回のようなときに改めて自分を見直す機会が非常に多いと思いました。私はあたりまえに「在日コリアン」として日本社会の中で過ごしてきたので、日本の中で過ごしているのに日本文化を知らないということが結構あります。18歳のときにお盆に友達の親戚のうちにいったとき、割り箸がささったナスを見て、「何これ、食べ物で遊んでるの?おもちゃつくってるの?」と言って、「そんなことも知らないのか」と向こうの親戚の方に言われたことがありました。そういう風に困ったこととか、おもしろいこととかあります。私も今日話すことでお互いが見えたらいいなと思います。
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尹 |
僕は富山県の出身です。母親が一世、父親が二世です。日本の学校にずっと行っていましたが、母が韓国生まれだから、自分がコリアンだというのがすぐわかるわけです。だけど、名前の呼び方を知ったの大学入ってからでした。外登証を見たら、本名の漢字はわかったけれど、読み方はまったく教えられてなくて、別に自分も知りたいと思いませんでした。大学に入って在日のグループに行ったときに初めて自分の本名を聞きました。実はそれが間違っていたのですが・・・。卑屈になっているとかそういうのはなかったのですが、自分が在日だということを意識することが全然ありませんでした。韓青連に行きながら、例えばユースフォーラムで何か一緒に行動するといった活動を続けています。
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李 |
年は26歳で、僕が韓青連東京に来だしたのは97年の秋頃からで、もう5年になります。それまで通称名で、僕は高校を卒業して働きだしたのですけど、職場でも通称名の
"葉山"でした。韓青連に通いだしてから本名の呼び方を知って、意外にドキッとしました。本名を名乗ることがそこで初めてできたのですけど、一昨年まで仕事していた時、葉山君と、李君の両方が存在していて、なんか名前のギャップがあるなと感じていました。今は学校に通っていますが、そこで、本名で通うようにしました。やっぱり通称名で過ごしていると周りの人は全然気付かないで、「あ〜、この人日本人ね」みたいな感覚になっちゃいますけど、本名名乗ることで、「何かこの人違う」と思うじゃないですか。それで少しでも「在日コリアン」がいるということをわかってもらえたらな、と思って、今は本名でやっています。
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丸子 |
今年27歳で、8歳まで東京にいて、その後ずっと宮城県に住んでいて、去年の秋にまた東京に出てきました。去年の春に前原さんと同じようにピースボートの世界一周北周りクルーズに行って、その後、「南北コリアクルーズ」に去年の夏に参加しました。その「南北コリアクルーズ」の、韓国のオプショナルツアーで元慰安婦の方の "水曜集会"に参加することがあって、そのときに、慰安婦のことって50年も昔のことだったのに、いまでもこんな80歳のおばあちゃんが毎週毎週抗議してるんだ、というのに衝撃を受けました。何か自分でやれることはないかな、と思っていたときに、ちょうどこのAHPTが発足して、参加しました。私はずっと宮城県の田園地帯に住んでいて、外国の方、在日の方もほとんどいないという状況で、自分のまわりにはいないものだという感じでしたが、今回東京にきてこの活動をしてみて、「まわりに在日がこんなにいるんだ」というのを初めて気がつきました。
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| 2.名前について |

松本 |
大学に入るまで通名で過ごしていたというお話がいくつか出てきましたが、最初本名を名乗る際、本名を使うようになるまでの葛藤といった部分を教えて頂けますか。
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 尹 |
葛藤とかありました?
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李 |
ちょっとありましたけど。僕の場合本名を名乗っているのは、自分にうそをつきたくなくて。いっそのこと正体ばらして本名を名乗って、「自分はこうだよ」という風に生活したほうが全然楽かなというのはありました。今母と姉と僕の3人で生活していますが、家の中では通称名で呼び合い、僕以外は二人とも通称名で今も生活しています。僕以外は、こうやって在日コリアンの青年達と話をする機会がありません。姉には本名を名乗ることに対するギャップみたいなものがあると僕は感じています。
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 尹 |
白さんの通名は?
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白 |
ありますよ。僕は二つ名前があります。 通名は"白川勲"といいます。本名と全然違うものだから、日本の名前を使っていると、漢字の使い方も読み方すらも、全然意識することはありませんでした。初めて見たのは大学受験のときで、そのとき日本大学を受けたのですが、日本大学は本名を使わなきゃいけないということでした。
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金 |
外登証には自分で署名しなきゃいけないから、そこで知ったのではなくて?
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白 |
僕はもらってすぐタンスの中に。署名は日本の名前にしていました。
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金 |
通称名も括弧つきでOKなのですよね。
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白 |
それが最初の出会いでしたね。とても嫌でしたね。自分ではない感じがして。
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 尹 |
姜さんのように通称名がまったくないという人もいれば、持っている人もいます。持っている人の中でもほとんど同じ字という人もいれば全然違う人もいます。あと、小さい頃からどっちを使っているかというのもいろいろあります。全員が全員意識的に本名を使っているというわけでもなくて。一概には言えませんが、でも多分、在日は名前に対して何かしらの考えを持っているだろうというのが感触としてあります。僕にも一応変遷があります。
李さんの場合は正体を明らかにしたいという話でしたが、僕は正直そんな感覚はありませんでした。自分は小さい頃から「自分は韓国人だ」と思っていましたし、友達にも言っていました。だけど、名前は18年間使ってきた日本名に愛着もあるし、親は日本名を意識してつけたという思いから、それを韓国語読みするというのは不自然だ、というのがありました。学生のグループでも名前の話になるわけですよね。そうしたら僕みたいな意見が多かったのです。「日本名でも良い」という人は別に本名を否定しているわけではありません。「本名でも良いけど日本名でも良い、隠してなきゃOK」と、いわばどっちでもいい派なわけです。その一方で、「やはり本名使うべき」という人がいて、そこにはいろんな理由がでてくるわけです。例えば創始改名が、とか。そのときに発見したことは、僕も含めてでしたが、「日本名でも本名でも良い」と主張する人は全員通称名を使っている人だったのです。本名を使っている人でそういうことを主張している人はいませんでした。確率論で言ったら「本名と通称名どっちでもいいじゃん」と言う人の中に本名の人がいてもいいはずなのに。「だったら、自分がその最初の一人になろう」と思って変えたというのがキッカケです。ちょうど大学2年の夏休みに大学に申請して変えました。
ところが、変えた後の語学の授業で名前呼ばれる時に実はドキドキしていている自分がいました
自分の3人ぐらい前からが本当にドキドキして、名前が呼ばれて「はい」って言った後、すっと安心するというのが続きました。そのときに「確率論はうそだ」と感じました。自分で使ってみて「どっちでも良い」では割り切れない部分がある、ならばちょっと使ってみようか、という感じで使いはじめるようになりました。そして、人の反応が全然変わることに気付きました。名前というのはそういう意味があって、いちいち人を語らなくても、自分がコリアンだということを相手に伝えることができます。ただ、本名が全て民族名というわけではないことを付け加えておきたいと思います。ダブルの人も大勢いる中で、民族名を持たないコリアンだっているわけで、そうした状況も理解した上で民族名からなる本名が持つ意味に私は積極的な価値を置きたいと思っています。
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金 |
私はもともと高校を出て東京に行くつもりはさらさらなくて、地元でなんとかなるだろうと考えていました。韓国の親戚の家に行って、ちょっとぐらい過ごせばしゃべれるようになるだろうという甘い考えもありました。ところが、兄に「東京に来たほうが絶対いい」と強く勧められました。それで受験をして東京の大学に入ったのですが、そこは本名でなければだめという規定はなかったはずです。だけど、申請するときに戸籍上の名前も書かなければならなくて、外国人は日本の戸籍はないですけれども、私の場合は
"金"という名前を書かなければいけませんでした。そうしたら兄に「これをキッカケに変えちゃえば」と言われました。それで、本名で登録しましたが、下の名前は本当に小さい頃に"ファデ"って読むということは親から一回聞いた事はあったぐらいで覚えてもいないという状態でしたので、読みは"かずよ"で登録しました。
名前ってすごく不思議だなと思ったのが、トーンが違うだけで抵抗があるということです。今まで呼ばれていない名前の感じが、違う人だと思わせるわけです。短大入学直後のフレッシュマンキャンプみたいな行事で、バスの中で"キム"ですと自己紹介しました。でも、それが非常に違和感があって。"キム"という名前はそれまで使ったことがないから、"キム"と呼ばれても気付かないかもしれない、だから、下の名前で呼んでほしい・・・みたいなことを言ったと思います。そんなきっかけで使い出して、短大2年間の間が一番名前で悩んだ時期でした。やはり愛着が通称名にあって、すごく葛藤がありました。
どうしようと思っていたときに、「在日コリアン」がテーマの回の「朝まで生テレビ」の観覧に行く機会がありました。その日は、たいして中身のない話が延々と続けられていて、ボーとしていたのですが後ろにある視聴者からの声が記入されるボードに、「そんなことを言うんだったら、とっとと国に帰りやがれ」というのにすごくビックリして。「「こんなに知らない人がいるんだな」と思ったときに、名前を良い意味で活用しなきゃと思いました。キム・ファデといえば、これから出会うひとは引っかかっていくだろうと思ったのがキッカケです。それで少し楽になりました。新しく四年制に編入したときに、"キム・ファデ"にしました。
でも実際は、それなりにいろいろ考えて変えて説明したわりには、周りの人は呼びなれた名前で呼びます。そういうので「変えたって言ったのに」とへこんだりすることがありました。いまは職場でもこれで通っています。名前変えなきゃよかったと思ったのは一度もなかったけれども、名前変えてよかったと思ったのはすごくありました。大学入学時に始めたバイト先では"金山"で行っていたので、そこで仲良くなった人もみんな"金山さん"と呼ぶわけです。でも私が韓青連に行っていることとかを話していくことによって、ある日気付いたら仲のいい連中全員の携帯に登録されていた私の名前が"キム・ファデ"に変わっていることがありました。それがすごくビックリでした。それで一人に聞いたら、別に申し合わせたわけではなくて、各々が変えてくれていたのです。また、くれる手紙の宛先が"キム"に変わっていたりとか、そういうことがありました。ホント良かったな、伝わる人には伝わったと、思います。
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