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管理政策から人権政策への転換を求めるNGOフォーラム(2010.03.27)
阿部浩己先生 講演録

2010年3月27日(土)、「外国人人権法連絡会」主催で、『管理政策から人権政策への転換を求めるNGOフォーラム』という催しを開催しました。

そのフォーラムでは、国際人権法をご専門とする阿部浩己先生(神奈川大学教授)から「今こそ人権政策への転換を」と題する基調報告をして頂きました。その講演の概要を以下でお伝え致します。(阿部先生の了承を得ています。転載をご希望の場合は、必ずご相談ください。)

外国人・民族的マイノリティ問題をはじめ、人権について考える貴重な資料になるものと考えています。多くの方にお読み頂けますと幸いです。

※KEYは「外国人人権法連絡会」に団体加入しており、この講演録の公開をインターネットで行なうにあたり、本ホームページを利用することで確認され、掲載した次第です。




私は国際法という国際社会の法を研究対象にしておりまして、なかでも特に人権保障について関心があるので、その観点から外国人政策なるものについて考えをお話させていただきたいと思います。

法務省のホームページに、出入国管理政策懇談会の最新の報告書が載っています。「今後の出入国管理行政のあり方」というタイトルのものです。日本の出入国管理政策の変容をリードする報告書を断続的に出してきた懇談会の報告書ですが、レジュメの(1)に書き出した3つの考え方がこの報告書の基本を構成しています。1つめの柱は外国人の適正・円滑な受入れです。とりわけ高度人材を中心に、あるいは観光立国を目指していることから観光客を念頭に置き、外国人の円滑・適正な受入れをするということです。2つめの柱は、不法滞在者等を生まない社会を実現するということ。そして3つめの柱としては、新たな在留管理制度を通じた共生社会を実現する、ということが謳われています。こうした柱をもつ出入国管理政策はどういう基準によって作られているのでしょうか。端的にいってしまえば、行政当局の、まったくの自由裁量として政策が作られているのではないかと思います。


この報告書には人権への関心がないに等しいんですね。外国人の人権を重視するということは柱になっていない。日本が守ることを約束している人権条約にも言及していません。憲法に立脚して日本の法制度は作られているわけですが、その憲法にも言及がありません。言及されている法律は、唯一、出入国管理及び難民認定法です。人権への言及がなく、人権条約や憲法への言及もない。総括的に評価するとしたら、今の段階においても、出入国管理政策の策定にあたって、外国人は「煮て食おうと焼いて食おうと自由」という考え方が基本において変わっていないということだと思います。いかなる裁量も許されるという了解のなかで政府にとって好ましい政策が作られているのであって、政府が守るべき基準、実現しなければならない基準への配慮は、この政策形成にあたっては全くといっていいほど見られない。法が支配しているはずのこの国において法が機能していない、としか思えてなりません。


外国人政策を形成するにあたって法が機能しないように見えてしまうのは、実は日本の中では最高裁によって1978年に出されたマクリーン事件判決によってある程度正当化されています。最高裁のこの判決は、外国人の人権あるいは権利というのは、人間として保障されているわけではなく、あくまで在留資格の範囲内でしか保障されないという考え方を示しました。憲法は本当に在留資格を人権よりも重視するのかということですが、憲法そのものは別としても、憲法学はそのような考え方を必ずして否定してきてもいないようです。端的に言ってしまうと、国民を優先する。憲法はあくまで国民を優先し、国民と同じような生活状況にある人に対しては、その性質上許される範囲で保障すればよいということで、あくまで中心は国民なんですね。こうなると、優先の対象にならない外国人については、基本的に自由裁量の範囲内で、どの範囲で権利を保障するかは自由に決めていいということになる。それが出入国管理政策懇談会の報告書の基本にある考え方だと思います。


この報告書についてもう少しお話しすると、いろいろなところで分断線や境界線がひかれているわけです。伝統的には国民と外国人を分ける、国民は優先し、外国人は許される範囲で権利を保障すればいいとして、国民と外国人を分けて、国民を優先する考え方がとられてきました。


今はそれだけではなくて、外国人をさらに分断する。よき外国人と、悪しき外国人という分断ライン・境界を作るわけですね。よき外国人は正規滞在者であり、共生の対象になる。しかし、悪しき外国人は非正規滞在者であって、排除の対象になります。非正規滞在者は外国人であるということで劣位におかれ、悪しき外国人という意味でもう一つ弱い立場におかれるわけです。非正規滞在者こそがこの境界線の引かれ方によって一番弱いところに置かれるものにほかなりません。これは基本的人権という考え方からは最も対極に位置する線の引き方です。基本的人権というのはコミュニティのメンバーであるとか国民であるとか、あるいはよき外国人であるということによって保障されるのではなく、人間であることによって保障されるものです。そのような基本的人権の考え方を端的に保障しているのが国際人権条約です。管轄の下にあるすべての人間に差別なく権利を保障する義務を締約国に課しているのが国際人権条約です。人権条約は、日本の公的機関を直接に拘束しています。そして、入管法をはじめとする法律よりも強い効力を与えられているものなのです。そのような人権条約というものが、本来、外国人政策を作る際には当然に考慮されなければならないのですが、残念ながらそうはなっておらず、まったくの裁量というものが外国人政策を作り上げてきているところに根本的な問題があると思います。


この報告書の中に、不法滞在者という言葉が何回も出てきます。不法滞在者という言葉を頻繁に使うことによって一体どんな効果が出てくるのかということを考えてみたいと思います。


実はこの不法という言葉に関連して、世界的に"No one is illegal"という運動が台頭しています。例えばカナダにおいては2002年にこのような運動が始まり、イギリスにおいても2003年に始まっています。イギリスの運動は非常に根源的で、出入国管理そのものの廃止を求めています。カナダではそこまでは主張しておらず、国境管理政策が人種化されているので、それを社会正義を実現するように組み変えていこうと言っています。このように運動の目ざすものについては少しばかりの違いはありますが、いずれにしても、存在そのものが不法な人間なんかこの世に存在しないという運動が広がっている点では変わりがないですね。このような運動はカナダやイギリスだけでなく、ドイツやスペイン、スウェーデンをはじめとする国々、もちろん日本でも広がってきています。illegalは、本来は「違法な、不法な」という形容詞ですが、今は名詞としても使われてきています。"They are illegals."「彼らは不法な存在だ」、ということです。存在それ自体が不法になっている。今までは、行為が法に反しているかどうかということは問いましたが、存在それ自体が違法かどうかという形での問いは発せられてきませんでした。ところが最近では、illegalを名詞としてsをつけてillegalsなどというようにもなって、存在が評価の対象になってきています。それほどまでに抑圧が強くなってきているので、"No one is illegal"運動が出てくるという逆説があるのです。


不法を作り出しているのは法です。法がなければ不法もありません。また、法を執行することによって初めて不法が目に見えるようになってきます。こういったことを踏まえると、不法滞在者とは入管法という法によって作られるものであり、さらにそれを執行する法執行機関によって作られる存在でもあります。不法滞在者はいくらでも増やすこともできますし、逆に減らすこともできます。不法をなくしたければ、究極的には法をなくせばいい。法執行機関による活動を控えることによって、不法滞在者の可視性、つまり目に見える度合いも減っていくでしょう。今は逆に、不法滞在者を増やすように法を作り変え、法執行機関が活動している。不法滞在者は「いる」のではなく、「作られている」のです。


不法を作りだすことによって、どのような効果が出てくるかというと、まず人種差別的な意識が広がっていきます。不法には貧困、有色性といったようなものがイメージとして刷り込まれています。単に不法というだけでなく、人種主義的な意識が付随するわけです。もう一つは、最近は日本を含めてですが、非正規滞在者を犯罪者として扱うところが多くなってきています。犯罪者という社会秩序を脅かす逸脱者なのだから排除して当然だ、という考え方を増幅させる事態になっています。そしてそれは、なぜその人が不法な存在になっているのかという構造的な側面から私たちの関心を遠ざける効果をもたらしています。つまり、不法という言葉は、人種化に加えて犯罪化の力学を生み出すことによって、人の移動を促す構造的な側面から私たちの関心を遠ざける効果を持っているわけです。


なぜこんなに不法が強調されなければならないのでしょう。不法滞在者を作り上げることによって実現しようとしているのは一体何なのでしょうか。端的にいってしまえば、不法という言葉あるいは不法滞在者という言葉が強調されることによって、入管法あるいは国境の存在、そしてコミュニティのメンバーでない人がいる、ということを意識づけられることになります。近年は日本でも「私たち」とは誰なのかということが非常に動揺している状況になっているので、「私たち」でない人をあぶりだすことによって、私たちが私たちであることを確認することが必要になっているのです。グローバリゼーションのなかで国境や国家がその存在価値を希薄化しているなかでは、排除の対象となる他者を作り上げることによって、初めて国境や国家、そして「私たち」というものの存在が意識され、確認されるとことになるわけです。


実はこの国境というものもグローバル化している状況が広がっています。自由主義体制をとっている先進工業国がまとまって一つの国境を作るようになっている、ということです。つまり、先進工業国のなかが内側とされ、その外側との間の境界が一つの国を越えて作られるようになっているのです。移民の流れは、「南」から「北」、つまり発展途上国から先進工業国に向けて一方向的にしかありませんので、そうした移民、なかでも非正規滞在者の存在を通して「内側」たる先進工業国・自由主義体制が正統で望ましい体制だという心象を各人の意識のなかに強く刷り込ませる効果も出ていると思います。


このようなグローバルな国境政策のなかに日本の国境管理もあるのです。先進国・自由主義体制の国々が中心となった世界秩序の再構築プロセスを導いている考え方は、新しい人道主義と呼ばれるものです。かつて19世紀から20世紀にかけて、欧米諸国はむき出しの植民地支配をしていました。そのときには植民地支配は悪いことではなく、進歩の証ともいうべき西洋文明を施す「文明化の使命」として正当化されたのです。21世紀はさすがにそうした古典的な形での植民地支配はほとんど姿を消しましたが、しかし、代わって、西洋型の人権、民主主義、市場経済、法の支配というものが正しい、正統なものであり、それを世界に広げるということが非常に大きなテーマになっています。時には軍事、文化、経済の力を用いてそうした西洋型の価値を押し広げる営みが続けられていますが、構造的には、世界を植民地化しようとした19世紀と、世界を西洋型の社会に変えていこうとする21世紀の今とで本質的に変わりがないのではないでしょうか。


人権・民主主義・市場経済といったものは21世紀世界秩序の鍵概念の1つですが、もう1つの鍵概念は、世界に現代的な文明を施していく証として、自らも文明国であるという証を立てるために推進されている多文化主義です。しかしこの多文化主義は要塞の中で構築される多文化主義、つまり、非正規移動を排除し、グローバルな国境地点において高い境界壁を設け、そこで排除の力学を働かせて、内側の安全、安心を確保したうえでの多文化主義であり、先進工業国の設けた規則に素直に従って移動してきた人のみを受け入れることを前提にした、パターナリスティックな色合いの極めて強い多文化主義だと思います。統制された多文化主義とでもいうのでしょうか。


こうした状況に対して、どのような原理で対抗できるのかというと、今の外国人政策、国境管理政策が、「私たち」と「彼ら」を分断するものであるとしたら、対抗原理は、私たちと彼らを分け、境界線を作る政策(私たち/彼ら)から、われとわれを結びつける政策で対抗するということだと思います。われとわれを結びつけること(われ=われ)を可能にする法的根拠として、国際人権法があると思います。


ここでは、基本原則を確認しながら、国際人権条約というものがどのような形で存在しているのかを、、見ておきたいと思います。まず、すべての国には、外国人の入国・在留・国外退去について規定する広範な権限が認められています。しかしこの権限はまったくの自由裁量ではなく、国際法の枠内で認められるに過ぎないものです。そして、日本は国際法を遵守する義務を負っています。憲法98条によって、日本は国際法を国内法として扱うようになっています。日本の国家機関は、その国際法を遵守する義務を負っています。日本の国内法になった国際法は、入管法などの法律よりも法力順位が上ですので、法律は国際法に適合するように解釈されなくてはなりません。


次に、人権について規定している人権条約、外国人の権利についての前提認識を確認すると、これらの条約は共通して、日本の管轄の下にあるすべての個人に人権条約の適用があるといっています。国民、外国人の別、不法に入国した、正規に入国したというような入国の態様の違いだとか、在留資格の別を問わず、すべての者の人権を尊重し確保する法的義務を日本は負っているということです。これは在留資格よりも人権に重きをおく考え方です。国籍や在留資格によって人を区別すること自体は、直ちには違法とはいえませんが、人を分ける、区別が差別になる場合には、人権条約はこれを認めないということになります。つまり、外国人は人権を享受するに当たって、国籍や在留資格を理由に区別されることがあったとしても、差別に当たるというようなことがあれば、それは許されないということになります。


どのような場合に区別が差別になるのかについても、人権条約は一つの基準を示しています。簡単にいうと、合理的、客観的な理由があるのかどうか、ということです。このような形で示される基本原則に基づいて、外国人政策は構築されなければなりません。


人権条約の履行を監視する機関、人権条約機関が外国人についてたくさん勧告を出していますが、人権条約がどの範囲で適用があるのか見極めるために、重要なものを抜き出してみましょう。


自由権規約委員会は1986年の一般的意見15のなかで、「一般的な規則は、規約上のどの権利も市民と外国人との間に区別なく保障されなければならない」といっています。

人種差別撤廃委員会も2004年に、「出入国管理政策が人種、皮膚の色、世系または国民的もしくは種族的出身にもとづいて人々を差別する効果をもたないことを確保する」よう勧告するといっています。在留資格を設けてもいいけれども、それがこのように差別になっていないということを確保しなさいと言っているわけです。

地域的な裁判所である米州裁判所は、非常に進歩的な裁判所ですが、在留資格を理由にして「人権の享有と行使を剥奪することを正当化」できませんといっています。

社会権規約委員会も、「非差別の原則は締約国の領域に居住するすべての学齢期の子どもに及ぶ。その中には、法的資格のいかんを問わず、非市民(外国人)も含まれる」と言っていますし、不法移民、illegal immigrantsという人権機関には見られない表現を使いながら、illegal immigrantsであっても健康への権利を尊重する義務を国家は負っているということを強調しています。

子どもの権利委員会も、「条約で別段の明示的定めがない場合、子どもの国籍、出入国管理上の地位または無国籍にかかわらず、すべての子どもに人権は利用可能とされなければならない」と言っています。


人種差別撤廃委員会や社会権規約委員会、ヨーロッパ人権裁判所は、在留資格がないから人権を享受できないのであれば、在留資格を与えることが要請されるとまで言っています。これが国際人権条約の要請なのです。つまり、非正規滞在だから人権保障ができない、在留資格によって人権保障を区分けするということは、人権条約としては非常に問題があるということです。日本の出入国管理政策と根本的に異なる原理を、人権条約は持っていると思います。その人権条約を守る義務が日本にはあることを何度も確認しなくてはいけないと思います。


最後に、国連の人権理事会というところに様々な人権状況を調査する特別報告者という人たちがいます。そのなかで今、日本を訪問されていますが、移民の人権に関する特別報告者がいます。ブスタマンテさんですね。この方が毎年一回報告書を出すんですが、2008年に出した3回目の報告書で、出入国管理政策に人権の枠組みを入れることを勧告しています。2009年の4回目の報告書では子どもの問題を扱いましたけれども、人権に基づくアプローチをとって、子どもの人権に関わる出入国管理政策を作りなさいといっています。こういう特別報告者からの勧告を受けて、国連総会や国連人権理事会では、在留資格を問わず、すべての移民の人権保護を各国に要請するような決議を採択し続けてきているんです。このような決議は、日本も含めて反対なく採択されているものです。


これが国際人権法の現状です。外国人にも人権条約が適用されることを確認する必要があるし、もし外国人と国民、あるいは在留資格によって人を分けるのであれば、それが人権条約の禁止する差別に当たらないということを確保しなければならない。これを日本の外国人政策のなかにきちんと生かしていくことが必要になります。今までのように行政府の裁量によって政策が作られるのではなく、人権法の原理、人権法の支配によって政策が作られる、そのような形に転換していくことが必要だと思います。


そのような転換を実現していくためにも拠点となる制度を構築する必要があります。ここでは3点述べます。まず第1は、人権条約が定める差別の定義を組み入れた差別禁止法を制定すること。そして第2は、独立した国内人権機関をつくり、国際人権法を基準にして日本のなかで人権の実現を図っていくこと。そして第3に、人権条約の個人通報制度、調査制度を受け入れること、が必要です。このような制度を整えることで、国際人権条約が求めている人権の原理に基づく外国人政策への流れが作られていくのではないかと思います。


ただ、差別禁止法、国内人権機関、人権条約の個人通報制度はあくまで制度です。一旦制度が作られてしまうと、当然にその制度を守ろうとする保守化の力学が働きますので、外国人政策を人権に基づいて実現するにあたって、このような制度を実現することを目標としながらも、制度を実現したことによって目的が達成されるということではなく、制度を作った後でも、その制度を変容させていくような運動を続けないといけないと思います。そのような形で運動を続ける上でも、国際人権条約を基本原則として利用していくことが重要ではないかと思います。

(文責:外国人人権法連絡会)

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