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東京発・ムンバイからのメッセージ 〜World Social Forum2004報告〜

■世界の民衆とNGOが集まる祭典=。


“Another world is possible.”「もう一つの世界は可能だ」

 これは、今年1月16日から21日にかけてインド・ムンバイ(ボンベイ)で開かれた『世界社会フォーラム(World Social Forum、以下WSF)2004』のキーワードである。WSFとは何かというと、スイス・ダボスに先進国のトップエリートたちが集まって開かれる世界経済フォーラム(通称・ダボス会議)に象徴されるような「富める者、持つ者だけが世界を決定する」ことに対抗し、圧倒的大多数の富まざる者・持たざる者がつくるオルタナティブな世界を目指して開かれる国際的な大行事である。2001年から毎年開かれており、そこでは世界各国の市民団体や労働組合が中心となって、国連の人権機関なども参加し、集会・セミナー・会議・コンサート・デモンストレーションなど多彩な手法で、反グローバリゼーション、開発と環境、軍国主義と平和、女性やマイノリティの人権などを表現する。昨年までの3回はブラジル・ポルトアレグレで開かれていたが、今回は初めて会場をアジアに移して開催された。


 今回のWSFに向けて、国際交流NGOピースボートは非常に乗り気で、WSFに合わせてムンバイに乗り付けるだけではなく、ピースボートに乗船して日本からインド・ムンバイに向かうまで、船内やWSF会場において種々のプログラムを企画・実行する人を募集する「PBフェローシップ・インターンシップ制度」を設けた。今回私は、このフェローシップの一員として参加した。そのため、私はWSFが開かれる六日間を含めて、12月25日〜1月24日と丸一ヶ月間の旅程となった。ちなみにこのPBフェロー・インターンには総勢30名以上が参加したが、どんな人かは本当にバラバラ。所属団体として参加したフェローシップにはKEYの他に7団体あって、環境・南北格差・ライフスタイル・人権・平和など取り組むテーマは全部異なる。個人資格で参加したインターンのメンバーも所属や、居住地も関東・関西だけでなく、北陸や九州と結構バラバラ。うちコリアンは六名。私の他に、KEYとは以前からつながりのある元浄土会メンバーの張玉希さんと、バンド『Knever-Land』として乗り込んだ神奈川朝鮮高級学校卒の4名。


 ピースボートでの旅程は、12月25日東京、翌日神戸を出発して1月16日ムンバイに到着するまで、沖縄、フィリピン、ブルネイ、シンガポールに寄港した。今回WSFのために乗船したフェロー/インターンも各寄港地では基本的に自由行動。私は今回の旅のコンセプトとして、過去の日本の侵略・占領の跡が各地でどのように語られているのか、とくに戦争資料館や国立歴史博物館を訪れることを設定した。


さて、フェローとして乗船した者は船内で少なくとも3つ企画を行なうことが責務としてあった。しかもそれをインターンと協力しながら進めることに。私が一緒になったのは、現在金沢在住で食にこだわりレストランにつとめる一方、劣化ウラン弾など非核問題にも地域で取り組む高坂勝さん、長崎出身の被曝三世の大学生で、高校時代に非核平和の声を長崎から世界へ伝えようと始められた「長崎高校生一万人署名活動」に参加し、平和大使として国連軍縮会議にも訪れた経験のある草野史興さん、そして前述の『Knever-Land』のベースを担当する李柱剛さん。運良く(?)私のチームだけ在日と日本人が半々という構成の中で、コリアにテーマを絞った企画を行なった。映画「在日」の上映を皮切りに、これまた映画上映で「GO」を、そして三回目はメインイベントとして、在日三世が語るトークショーを開いた。ここには、李柱剛さんと、KEY東京でピースボートスタッフでもある琴玲夏さん、そしてピースボートスタッフで昨年の南北海外青年学生統一大会で一緒に金剛山に行っだ美樹さんの3名にパネリストとして出てもらい、今の在日の声を語ってもらった。最後の4回目は、「キタとミナミ―どう違う?」と題して、韓国と北朝鮮に対するイメージを現在と30年前で比較するワークショップを開催した。


 今回船内では課されたKEY主催企画以外にも様々な企画に携わったが、とくに同じく乗船された在韓被爆者の郭貴勲さんとの出会いが私の中ではとりわけ大きい。KEYでは大阪において一昨年12月に勝訴が確定した被爆者援護法裁判や集会にずっと参加してきたが、私自身は郭貴勲さんとお会いするのは今回初めてである。郭貴勲さんは神戸から乗船され、以降ムンバイ国際空港で帰るまでの旅程を同じくした。船内での大人数対象のオープン企画1回と少人数で詳しくお話を聞くことのできたクローズド講演会2回をはじめ、種々の場面で同席し多少お手伝いもさせて頂いた。船内だけではなく寄港地においても、沖縄でひめゆりの塔・平和の礎・首里城を回ったり、ブルネイのフードコートで私一人相手に戦時中の徴兵体験を隅々まで語ってくださったりした。いろんな場面が今も明確に記憶しているが、船長主催のディナーの席で、裁判に携わった弁護士団に対する語り尽くせない感謝の気持ちを表現した「精駁研 脊精 紫寓拭惟澗 袴軒朝喰生稽 重聖 誌焼層陥」(恩恵を受けた人には髪の毛で草履を編んで贈る)という言葉とその時の微笑はこれからずっと忘れることはないと思う。

 ただでさえ20日余りを書き記すには多分の文字を必要とするのに、さらに「非日常的な」体験をしたこの期間を表現するのは本当に荷が重い。


 その非日常を過ごした後に待っていたのは、さらに私の日常生活からかけ離れたインドでの滞在だった。6日間中私たちは、ユースキャンプという名の大学のグラウンドでのテント暮らしで夜露をしのいだ(ただ乾季で毎日晴天だったが)。ムンバイ市郊外の旧工場跡地の本会場までタクシーまたは記者で毎日通うという生活だった。WSFに参加するにあたって、ピースボートでは四つの会場枠を確保し、船内でセミナーを準備してきた。私はその中の一つの「東アジア平和グループ」に参加し、最後の1週間の2時間ミーティングをこなしてきた。18日に行なわれた本番では、ピースボートの水先案内人として乗船されていた元国連大学副学長である武者小路公秀さんが南北朝鮮・日本・米国のタカ派、ハト派の関係図から今の北東アジアの状況を非常に分かりやすく説明された後、韓国・日本・在日コリアンの三者の視点ということで、韓国からは丁京蘭・平和をつくる女性の会事務局長がブッシュ政権の対北朝鮮政策と南北の民間レベルの和解の動きについて報告した。日本からは櫛渕万里・ピースボート共同代表が有事法制からイラク特措法の制定、そして改憲へ向かおうとしている日本の政治・安保状況について報告した。そして在日コリアンということで私から、まず在日コリアンという存在は何かについての説明を行なった後、日韓間の協力・連帯の必要性を日韓連帯運動の歴史と今の日本と朝鮮半島の関係の中で訴えた。とくにイラク戦争後にコリア反戦に対して日本と韓国が共同歩調をとることができるのかが重要であるとアピールした。


 またその翌日に開かれたピースボート枠での「日本の新しい社会ムーブメント」というワークショップでも、KEYも参加するPEACE NOW KOREA JAPAN≠フ紹介を私が担った。そこでは、「国民運動」としての反戦・平和運動ではなく、とくに矛盾が集中するマイノリティを「救済対象」としてではなく「連帯すべき当事者」として協働することが今日本において必要だというメッセージをとくに訴えた(つもりだ)。このワークショップの後、私の発言に興味を持ったブータン人男性2人が私に話に来てくれた。20歳前後に見える彼らはブータン出身だが現在は難民としてネパールの難民キャンプで生活している。在日コリアンのマイノリティ性が印象に残ったようで、今後難民問題で何か協力できることがあれば協力したいと連絡先を伝えに来てくれた。その際に聞いた「私たちはここ(WSF)に来てもマイノリティで、発言する場がない」という彼の言葉は確かに現実を鋭く貫いていて、その後何度かそれを実感する経験を私は受けた。


 さて、インドに関してもう一つだけ語らなければならない。今回の旅程で私の中で一番のインパクトを与えたことであった。それは路上で出会う物乞いをする人々である。私も何度も出会い、手を差し出され、時には衣服を引っ張られた。タクシーで信号待ちしているときに窓から手を差し出されたこともあった。ある日WSF会場からユースキャンプへ帰ろうとした時に、乳児を抱えた七歳位の女の子が近づいてきた。「相手にしない」というのがルールとして習った私は何回かやってきたのと同じようにそうしていたが、彼女が私の目の前に回り、元気のない乳児の顔をつかんで私に見せたときに、私はドキっとした。私は何をしたらよいのだろう?自分の日本での生活での豊かさが「罪悪」のように思えると同時に、このような状況を放置しているインドにも憤慨した。インターネットで彼ら彼女等のことを「逞しく生きている」と肯定的に見たり、「あれも職業の一つ」とプラクティカルに表現するのをよく見たが、私には今どうしてもそうは思えないし、思ってはならない確信めいたものがある。


 今回の約1ヶ月間の旅を通じて感じたことはたくさんあるが、船内でもWSF会場でも何回も感じたことは今「朝鮮問題」を訴えることの必要性である。今テレビを見ていると本当に毎日のようにワイドショー的北朝鮮報道を目にしており、いかに日本の中で北朝鮮が大きなものとして立ちはだかっているかと感じる。しかし、実際に一人一人の関心のレベルになったときに、イラク戦争に対する関心の高さに比べて北朝鮮がそれほど大きなものとなっているのかどうか。またWSFという「世界」という場に立つときに、私たちが思っているほどの「朝鮮問題」はやはり世界に数ある中の一つで、一挙に見えなくなってしまう。それをアピールしているのが今はコリアンしかいないというのが現状だ。「朝鮮問題」こそ日本が解決主体となるべき課題であるのにも関わらず、そこまでの状況にはない。私たちの声がもっと広く伝わらないと、と本当に強く感じた。


 最後に。日本からインドに旅行すると、はまる人とそうでない人が明確に分かれるとよく聞くが、実際に行って、よくわかる気がする。とにかく生活上のルールや習慣が日本と異なる。三車線の道路に車が五台並ぶのも当たり前。周りの空気の色も違って見える。インドの前では、日本と韓国との違いなんて小さいもんだとつくづく思った。さて私はインドにはまったのかどうか…きっとまた他から行こうと誘われたら拒みはしないだろう。


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